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2010年8月10日 (火)

宇多田ほか、日本人アーティストが米国でウケない理由

 宇多田ヒカルが、人間活動をやるきっかけになったのは、おそらくアルバムが、アメリカで売れなかったことい起因するんじゃないかな。これは歴代、ピンクレディー、松田聖子、矢沢永吉とかが頑張って来たけど、未だ果たせぬ日本人の夢だ。唯一例外だったのが、坂本九の「上を向いて歩こう」。1963年に、全米ビルボードチャート1位を日本語の歌詞で獲得。これはもう奇跡とかいいようのないで出来事で、その年の6月にはビルボードチャート1位を3週も獲得していている。
 
 実はこれも62年に、EMIの幹部がお土産にいただいた楽曲のなかから偶然見つけた1曲で、まずはイギリスでヒット。全英チャート10位になっている。その勢いでアメリカに攻勢をかけるが、全然売れなかった。ところが、アメリカのローカルラジオ局に、日本のペンフレンドからレコードがリスナーの手に渡り、それがDJの元に送られてくる。それをオンエアしたら、その日から、リクエストが殺到。そこから奇跡の快進撃が始まった。

 簡単に言えば、何もせんで全米チャート1位に輝いたわけで、しかも日本語のまんま。こんなことは常識で考えたら絶対ありえない。

 ヒットの要因は、どう考えても天才、中村八大の楽曲の良さでしょう。もともとジャズをやってた人だから、ディキーランドジャズなどの要素をうまく取り入れて、結果アメリカ人ウケする、ほのぼのする曲調になったんじゃないかと。永さんの歌詞も抜群にいいんだけど、誰も翻訳なんかしてないから、当時はね。それは日本人のみんなが知ってるからいいよね。

 そこで宇多田ヒカルが頑張って、第二の坂本九を目指したんだけど、うまく行ってない。これは文化的にも、難しいところがある。

 例えば村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が、日本で空前の大ヒットをするんだが、英語に訳された本を見たアメリカ人は「この本の、何が凄いの?よくある基地の街の光景じゃないか」とね。当時は、まだ米軍は、フェンスの向こうのアメリカであって、異文化だった。そこにドラッグだ黒人とのファックだ、ジャンキーだ、ヒッピーだって描かれれば日本人は、カルチャーショックを受けるけど、本国じゃ何が珍しいのかさっぱり分からないってことになる。

 とまあ、このようにカルチャーギャップっていうのか。それがあり過ぎてもダメ。なさ過ぎてもダメと難しいんだね、そのバランスが。宇多田ヒカルは、いったいどうゆう立ち位置で、何を歌うのか?そこらへんのマーケット戦略の甘さがあったんじゃないかとね。だって、誰も狙って成功した人いないんだから、答えはなかなか見つからないよね。

 もう少し読みたい方は、マグマグメルマガでも読んでね。まあ、だいたい書きたいこと書いたけどね。サービスだ。

 http://www.mag2.com/m/0001158675.html

宇多田ヒカル 人間活動に専念

 

 宇多田ヒカルは、やっぱりお茶目でいいよね。ちょっと音楽活動を休み、普通の生活に戻ることを人間活動って言うんだから。昭和天皇みたいでいいって、それは人間宣言だろう。
 
 このテの休息ものといえば、自分探しの旅をしている中田選手なんだけど、やっぱり、漫画「俺の空」みたいで、ちょっとキザに見える。サッカー選手の場合は、現役引退で、本当に自分探しの旅をしなきゃならいという、切実なこともあるんだけどさ。この点、宇多田は余裕があって、見ていて気持ちがいい。

 こうゆう商売って、精神力やテンションが大事で、同じことやってて、ダメなら方法変えるのは、いいアイデアだ。でっかく売れたんだから、やり残したことをどんどんやればいい。ノリでいうと吉田拓郎の、人間なんて、ラララ~ラララララ~って感じかな。

 今の世の中、休んだら奈落の底みたいな人がいっぱいというか、ほとんどだからね。例えばエンゼルスの松井選手とかね。スポーツ選手は、キングカズは例外としても、普通は年齢的にも限界は見えてくる。けどアーティスト系は、テンションさえ維持してれば長持ちするし、まだまだチャンスが多い。

 そしてこのような長い休憩から、2度も這い上がって来た大物と言ったら、そりゃビートたけしだよね。特に1回目のフライデー事件は、多くの謎が残る。つまり本当にA子さんのことを思っただけで、あんな事件を引き起こしたのかって。当時のビートたけしは、視聴率100%男、すなわち20%の番組を5本持つような売れっ子として極めつつあり、全盛期の欽ちゃん状態だった。これでは、逆にテレビ局に潰されて、早いうちに才能が枯渇してしまう。そこでA子さんという名前を借りて、ひと芝居打ったのではないかという説。

 その後、復帰して前より売れたビートたけしには、さんまやタモリも、一目置くようになって、誰ひとり逆らわなくなったという話だ。まあ2回目のバイク事件はね、あれは事故だっていう説が強いけど。

 というわけで宇多田ヒカルは、音楽界のビートたけしを目指せって、もう充分そこの領域は達したか、じゃあ音楽界の、マイケル・ジャクソンだな。

2010年7月19日 (月)

噛むとフニャンの作曲家は、寺内貫太郎だった。

佐々木希ちゃんのロッテガムのCM。あれってちゃんとした歌だったって知ってました。さっきFMから流れて、全部聞いたんだけど、ラップ風の、男女のやりとり系の歌で、結構長いので驚いた。CDは、佐々木希がボーカルでfeat.Astroと歌っているわけなんだけど、この原曲が、なんと1963年開始のアニメ「狼少年ケン」だったとはねえ。よ~く聞いてると、確かにそう。

の~ぞ、の~ぞ、のぞみ~ と
わ~お、わ~お、わ~お
がそっくりだもんね。

そこまではクレジット見れば分かるから、知ってる人は結構いるが、じゃ狼少年ケンの作曲者はというと、昔一世風靡した、寺内貫太郎一家のお父さん、小林亜星さんだった。いや、この先生はアッコちゃんから、サリーちゃんまで、全部作ってるからね。そのパワーは、おそろしや~ですよ。

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