ブログ更新。 坂本九の名曲「上を向いて歩こう」、リリース50周年に寄せて。この名曲は何度聞いてもいい、生涯ベスト1の曲に決まってるでしょ。昭和30年代以前の人にはね。
「上を向いて歩こう」は、山ほど伝説があって、みんなに書かれまくって、今更何を?って言われそうだが、個人的に好きなので、自分の知ってる範囲のエピソードを少し。この前のNHKで特集やってたが、永六輔の作詞、実は60年安保の負け組の内容の詞だったんだね。すっかり安保の負け歌は「アカシアの雨がやむとき」だと思っていて、その無常感が、ばっちりと思っていたが、どっこい、こっちも60年安保負け組の歌だったとは。
発売は1961年秋。60年安保時、永さんは学生運動に参加し、機動隊に蹴散らされて、毎日下を向いてみじめにとぼとぼと帰ってた。その時の思いが詞になってたというのだから驚きだ。
日比谷で偶然、先輩の中村八大氏に永さんは会う。そこで徹夜のレコード製作の手伝いをした。1日で10曲作らされた。作詞永六輔、作曲中村八大の、六八コンビがここに誕生するんだけど、その10曲の中に「黒い花びら」が入ってたんだからね、すでに才能ありまくりだよね。
永さんの才能を高く評価した中村八大氏は、自分のリサイタル用に作詞を依頼する。そこで出来上がったのが、「上を向いて歩こう」だった。その曲の出来の良さに、まっさきに目をつけたのが、坂本九の事務所だった。九ちゃんに、この曲歌わせてってね。
かくしてここに、六八九の夢のトリオが完成し、最初は「夢で会いましょう」の、今月の歌として「上を向いて歩こう」がオンエアされた。ユーチューブでは、その「夢であいましょう」バージョンが見れます。何十回も見ました。たいしたセットじゃないんだけど、歴史の瞬間っていうのかなあ、実にインパクトありますよ。中村八大氏は、この曲に関して、最初からジャズのコードを使って世界的なヒットを狙ってたフシがある。一方永六輔氏は、当初坂本九に歌わせるのを反対していた。「ウ~へ~を~む~う~い~て~」と、やたら伸ばすから、ジャズっぽくないと。これは坂本九の母が小唄をやってて、その歌い方に近いとか言われて、結局は、中村八大氏の方が永さんより先輩で、これで行きましょうと、ここに歴史に残る六八九トリオが生まれた。
ここからさらに、1963年には、全米チャート3週連続1位の快挙を成し遂げるんだが、この続きはメルマガで。次回は月曜配信です。興味のある人はどうぞ。一ヶ月無料です。