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2009年3月 9日 (月)

イチローを作り出したチチローのインタビューの思い出

 久々に時間ができたので、少しづつブログを再開して行きたい。

 再開1回目は、イチロー選手WBC3安打おめでとうということで、独占インタビューを過去にしたことがあるので、思い出しながらまとめてみたい。
 なにゆえ独占インタビューがとれたか、それはイチロー選手じゃなくて、お父さんのチチローだったから。なんじゃそれ。でも本当の父親ですからね、イチロー製造の秘密が、分かって非常に面白かった。

 チチローは、自分のことをダメおやじだと言っていた。イチローにとっては素晴らしい父親だったが、ほかの子供はほったらかし。親として、実のコに対してこんなに愛情の差、かまう時間の差があっていいのか。今となってはすごく、後悔というか反省しているという。

 でもおかげでイチローが大出世して、一族が潤ったのだからいいじゃないですか、みたいなことをフォローしたんだが、チチローは、半分ぐらいうなづいていた。でも納得した顔ではない。やはり決してお金では解決しない、親子の深い溝があったんだろう。

 どんだけ、イチローに対してバカ親だったか。それを語っていきたい。そもそもイチローが、プロ野球選手になると言ってたのが、小学生のころ。そのころって誰でもそんな夢を描くわけで、特別変わった少年じゃなかった。
 変わってたのは、むしろチチローのほうだった。そんな子供のたわごとに近い夢を、本気でかなえようと、連日放課後になるとキャッチボールの相手をしてあげていた。
 チチローの仕事は具体的に聞いてないが、家の近所で小さい工場を経営してみたいだ。だから夕方になると時間が取れる。会社を抜け出していたのか、さぼっていたのか謎だが、ほぼ毎日ず~と、4時ぐらいから親子野球をしていたそうだ。

 近所でもそりゃ、だいの大人が毎日仕事切り上げて、息子とキャッチボールかよみたいな白い目で見られたのは言うまでもない。小学生がプロを目指すとか、言ってもしょせん絵に書いたモチ、誰もが無理な話と思っていたのは当然だ。

 こんなエピソードがある。ある日イチローが野球をやりすぎてくたくたになり、足を相当疲れさせていた。お父さん足痛いよ~とね。それを見たチチローはイチローの足を、延々朝になるぐらいまで、づ~とマッサージしたという。やや誇張してるかなと思うが、この親ならやりかねない。それだけ、イチローを溺愛していたそうだ。

 チチローの努力の甲斐あってか?、イチローは中学になって、憧れの野球部に入れた。そこでイチローが、初めてチチローに反抗期みたいなことを見せたそうだ。

 夕方野球の練習が始まると、バックネット裏にしがみつくように見ているおっさんがいると評判になった。当然その人はチチロー。思春期を迎えたイチローは、単に恥ずかしがったんだろう。チチローに対して、みんな噂をしてるから、もう練習を見に来ないで欲しいと、言ったそうだ。

 が~ん、ショックを受けるチチロー。チチローの楽しみは、息子の練習姿を見るだけなんだから。人生最大の楽しみを奪わないで欲しい。でもイチローの気持ちも分かる。

 チチローはしぶしぶ折れた。今後練習を見にいかないとね。ほとんどこれは、星飛雄馬の練習姿をエプロン姿で見守る、姉の明子に近いものを感じますけど。
 チチローは息子の練習姿を見れなくなったら、ふさぎ込むまで行かないが、けっこうしょんぼりしていた。それを見かねたイチローは、すぐさま練習を見に来ていいよという許しを与えたそうだ。

 それから中学の3年間、ほぼ毎日、息子の練習姿を見るチチローの姿があったという。イチローの才能と努力は言うまでもないが、チチローの深い愛情と執念みたいなものがあってこそ、天才イチローが生み出されたのは、言うまでもない。

 子供相手にキャッチボールしてて、将来はプロ野球選手なろうな、まさに三丁目の夕日的光景ではないか。それを本当に実現させんだからね。あっぱれな親子ですな。

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